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金色の稲穂、宵闇の花びら

2、宵闇の花びら

「なーにが、”闇から遣わされた者たちはようやく安らかに眠れますね”、だよ。ほんっと、きみの妹君は愚かだねぇ、頭が足りないっていうか。そういうとこ、きみたち似てるよねぇ」
 まぁきみの場合はその愚かさが図々しくないから可愛いけど。男は嘲笑めいた口調で言う。
「ルナフレーナを愚弄するとは貴様! 許さんぞ!」
「許したくないのはこっちだよ」
 男、アーデンは長い長い廊下を歩いていた。右腕はレイヴスの異形と化した左手首をしっかり掴んでいる。
「離せ…! 俺は貴様と共になど…!」
「まぁだそんな眠たい事言ってんの? もういい加減に理解しろって」
 アーデンがレイヴスを掴む右手に力を入れた。それが予想以上に強い力でレイヴスは小さな悲鳴を上げる。
 じたばたと尚も嫌がり抵抗するも、赤い絨毯の敷き詰められた廊下を引き摺られて行く。アーデンと二人揃ってシガイの泥を滴らせるものだから、進む側からたちまち絨毯が汚れた。
「俺はルナフレーナの元に…!」
「行ってどうするの?」
 最後まで言う前にぴしゃりと返された。その声の冷たさにレイヴスは息を呑む。
 アーデンは足を止め、そしてこの館に来て初めてレイヴスを振り返った。
「ルナフレーナ様は使命を果たして、今頃王様と一緒に居るよ。そこにきみが行ってどうするの? そもそも、シガイになっちゃったきみがシガイ大嫌いな神様のところに行けると思う?」
 何も返す言葉が無かった。
 そうだ。ルナフレーナとノクティスは、使命を果たした王と神凪。神々に祝福され召された事だろう。片や自分は何も無い。神々の元にすら辿りつけない。
 レイヴスは絶望に頽れた。妹の魂に触れる事はもう二度と無い。父はおらず、母に置いて行かれ、最後の肉親であった妹にも、置いて行かれてしまった。
 零れる涙は真っ黒で、それが滴り絨毯を汚す。俯いて泣くレイヴスの背を、アーデンの手が優しく撫でた。
「貴様は、残酷だ……!神と王に復讐するのが目的なら、なぜ俺をあのまま死なせてくれなかった! なぜ、シガイなどに……!」
「分からない?」
 その声が予想外に優しくて、レイヴスは顔を上げた。アーデンは続ける。
「シガイは、神様の言いなりにならない者に押される烙印さ」
 そんな……! 驚きに目を見開く。
「そうか、知らなかったんだねぇ。カミサマ、というか剣神バハムートは、自分の思い通りにならない存在を消すために、シガイなんてものを作り出したのさ」
 光耀の指輪を嵌めた際、レイヴスを排除した歴代王らの後ろに居たバハムート。ルシス王家とはバハムートの手先だったのか……。
「炎神イフリートは人間が好きでねぇ。ソルハイムの人々に炎を与え、それが文明になった。バハムートはそれが気に入らなかったんじゃないの? だから魔大戦なんて起こった訳で。あぁ、ルナフレーナ様の傍にいたゲンティアナ、あれはシヴァさ。シヴァは優しくて中立だからさ。それこそ人間でいう所の神凪みたいなものだよ。因みに、シヴァとイフリートは恋人同士だ」
 初めて聞くことばかり。あまりの情報量についていけず、レイヴスは混乱気味の頭を振った。
 男は、ゆっくりと言い聞かせるように話し続ける。
「シガイは闇のものだってみんな忌み嫌うけど……世界には闇があるから光が存在できる。だから光と闇はどちらも必要なんだよ。だってずーっと昼だったら、人間はいつ眠るのかな?」 
 何が光で何が闇か。闇は光の中に、光は闇の中に。全ての事象は二面性を持ち、あちらが出てきたり、こちらが出てきたり、その繰り返しに過ぎない。
 レイヴスはただ、黙って聞いていた。
「それにねぇ…。カミサマの都合でシガイにされた者たちを見捨てるなんて、オレにはできないねぇ」
 ああ、この男は。かつて聖人だった頃と何も変わっていないのだ。ただ神々と運命に逆らったというだけで、弱き者を見捨てられない優しさは、無くすどころかますます大きくなっている。だからこそ、弱き同胞を見捨て、焼き、自分とその家族さえ生き残ればそれでいいと自己保身に走ってきた人類に憎悪を抱いている。
「……俺をシガイにしたのは、憎き人間のままでは嫌だったということか?」
 レイヴスの問いにアーデンは笑った。それはいつもの不敵な笑みではなく、どこか切なそうだった。
「オレ、きみの事は気に入ってるんだよ。神凪の血族のくせに神の討伐に加わったり、ルシス王家を憎んだり。無力なくせに運命に抗おうとする姿には、何度も救われたよ」
 本当に無力過ぎて呆れたから、途中からオレの力を分けてあげることにしたんだけどね、と男が続けたのにはムッとした。
「無力で悪かったな。仕方あるまい、オレは選ばれなかった者なのだから」
「カミサマが選ばなかっただけでしょ? オレはきみを選んだよ」
 男が狂気と残虐性の中にも頻繁に見せた優しさ。それは嘘では無かったのかもしれない。
 けれど、今、それを見せるのは止めて欲しい。こんな男と誰が共に行くかと反発する心が萎えてしまう。やめろ、俺をほださないでくれ。
「だが、お前には他にも選んだ者がいるはずだ。そしてその者も、お前を選び、故に命を落とした」
「なんだって?」
 この男について行ったところで、俺はお前の一番にはなれない。なぜなら……
「お前を……待っている女が居るのではないのか」
 それまで優しかった目が射るように鋭くなった事に内心怯えつつも、レイヴスは男の目から視線をそらさず対峙し続けた。
 ややあって、アーデンがふう、とため息をついた。そして先に視線を外したのは、男の方だった。
「……なんで知ってるのかな?」
 その声は寂寥を含んでいる。
「……俺とて神凪だったのだ。まだ腕を無くす前、ゲンティアナが……」
 かつてルシスでは悲劇が起き、それは今なお眠っている、と語った。尤も、まさかその悲劇の主人公がこの男であった事を知ったのは、男の手でシガイに変えられノクティスの手で絶命させられた時であったが。
「シヴァ……。余計な事を…」
 そういう割に、男の目は穏やかだ。
 アーデンは、事の顛末を話し始めた。
「確かに、俺には昔婚約者が居たよ。エイラって言ってね、初代神凪だった。きみたちのご先祖様だ」
「……神凪は死して尚使命から解放される事は無い。その神凪は、今もお前を待ち続けているのではないか」
 意外にも、その言葉は否定された。
「俺さ、ノクティスに殺された時に、どうも二つに分かれたみたいでねぇ。白き王『アーデン・ルシス・チェラム』は、呪いから解き放たれて神の元に召されたよ。きっと今頃、エイラと再会してるだろうねぇ」
 それこそ王様とルナフレーナ様みたいに、結婚式でも挙げてるんじゃないの? あ~あ、嫌んなっちゃうねぇ。男は大袈裟にポーズを取った。
「では、お前は……」
「俺は『アーデン・イズニア』だよ。弾かれたか弱き者共の守護を仰せつかった、いわばシガイの王様」
「……ではお前は、俺が知っているお前なのだな」
 ご名答、と気障ったらしく片目を瞑ってみせた男の腕を軽く叩いてやる。まったく力を入れていないというのに、「痛いよレイヴスくん」などとうそぶくこの男にはやはり腹が立つ。
「それで? 俺は見事お前の眷属に堕とされたというわけか」
「ひどいなぁ、そんな言い方しなくても良いじゃない。だって独りぼっちは嫌でしょ?」
 指輪に左腕を焼かれたレイヴスは魔導で動く義手を得た。魔導はレイヴスの心臓を浸食し、その力を得る代わりに、神々の声を聞く力、交信する力を失った。
「ゲンティアナだってもう見えてなかったでしょ? 俺には見えてたんだけどさ」
「なんだと!? なぜだ! 貴様はシガイの塊だろうが!」
「塊ってひどいな! ってまぁ、それは置いといて。兎に角、あのまま死んでも神様の所には行けないし、かといってそのまま消えちゃうのは惜しいから、神の理を外れたものとしてこうして連れて来てあげたんだよ」
 頼んでもいないのに随分と恩着せがましい事だ。レイヴスはフン、と不機嫌に鼻を鳴らした。
「ああでも、その姿じゃちょっと不自由だなぁ。何せきみが大きすぎて、話声が聞き取り辛い」
 アーデンがパチンと指を鳴らした。するとレイヴスの身長はみるみる縮んでいき、やがて生前の大きさにまで戻った。
「これで良し。ああ、きみの可愛いつむじが良く見える」
「うるさい! おい、そんな事ができるならば、このツノも何とかしろ」
「あー、それはダメ。そのままで居て頂戴」
 は? まさか断られるとは思っていなかったレイヴスはぽかんとした。
「だってそれ、……俺とお揃いなんだもの」
「な……! き、きさま……ッ!」
 アーデンは爛々と光るシガイの瞳で笑った。すると男の頭ににょきりと一対のツノが姿を現す。それはレイヴスの左の頭についているものと同じ形をしていた。
「献身も報われず、神々にも拒否され、おまけにシガイになったんだ。あまりに似てるから、せっかくなら全部お揃いにしてあげようと思ってさ」
「迷惑な話だ!」
 アーデンは悪びれる様子もなくただ笑っている。
「それよりさ……、きみも俺の事を好きになってくれた?」
「は?」
「だってさっき嫉妬してたじゃない。エイラに」
「誰が! 嫉妬など!」
 嘘つかなくて良いんだよ~、素直になりなさい~と笑うアーデンの様子に、こめかみ辺りで理性の糸がぶちっと切れる音を聞いた。
「貴様ー! もう我慢ならん! この場で成敗してくれる!」
「うわ~! って黄泉送りはやめて、もうここ黄泉なんだよ!?」
「苦しめ」
「いてててて!!」
 バチバチと青白い稲妻が辺りに走る。アーデンは帽子の端が焦げて涙目である。
「待たんか、このクソアダギウム~!!!」
「おい!? それどこで聞いたんだよ!」
「ゲンティアナに聞いた!!!」
「その名前で呼ぶのはやめて、大っ嫌いなんだよ」
「ほう、貴様の弱点が見つかったようだな。アダギウム、かっこいい名前じゃないか」
「黙りなさいよこのゴリラ神凪!」
 なんでこう神凪の家系の人間というのはお転婆なんだろうかと、アーデンはため息をつく。
「そんなとこまでエイラに似なくて良かったんだよ!」
「昔の女と比べるなんて最低な男だな!」
 とんだ鬼嫁である。
「はぁ、はぁ、分かった、降参だ降参だ! ごめんねレイヴスくん!」
 シガイが2体、ばたばたと暴れ回る。だがそこに悲痛な様子など無く、はた目から見ればとても楽しそうだった。
「あ! ほら見えてきたよ! あれをくぐるんだ! そこを出たら、ジールの花が一面に広がってるよ」
「ジールの花?」
 ルナフレーナが育てていた、あの青き花々がなぜここに。
「あれは、祈る者の願いに応えて咲く花だ。俺の祈りは、赤いジールになった」
「……そうか」
 赤い、ジールの花畑。
 かつて妹は青の海の中で民の救済を祈り、微笑んでいた。
 この男は赤い海の中で何を祈ったのだろうか。弱きものたちの救済だったのだろうか。
「アーデン。……仕方ない。貴様に着いて行ってやるとしよう」
「え、今更? もう引き返せないんだけどね」
 男が手を伸ばす。レイヴスはその手に、シガイとなった左手を重ねた。 
「……それで、何故貴様にはゲンティアナが見えていたんだ?」
「ああ…。実は俺も死んでから知ったんだけどさ……」
 俺も結局は王らしいんだよね。闇の。だから見えるんだって。今更王とか嫌になっちゃうよねぇ。
 先程までアーデンに無理やり引きずられていた廊下を、今は自分の意思で歩くレイヴス。
「はあ、やっと着いた。ようこそ冥界へ。この門をくぐれば、俺たちの安息の地だよ」
 アーデンと共に、レイヴスは一歩、踏み出す。
 全てのものはあるべき場所へ。ひとまず、光と闇の戦いはこれで終焉としようじゃないか。アーデンが帽子を深くかぶり直し、深く笑みを浮かべて、レイヴスの手を握り直した。
「再び光と闇が交わるその時まで…。ノクティス、しばしお別れだね」
 男の深い声がレイヴスの鼓膜をくすぐる。
 やがて誰もいなくなり、音もなく閉じた門の周りは、再び永遠の静寂に包まれた。

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